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デンシノオト

音楽の印象。

Giuseppe Ielasi『3 Pauses』(Senufo Editions/2017)

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 Giuseppe Ielasiが主宰する〈Senufo Editions〉が再始動した。2012年から2014年にかけてLuciano MaggioreやNicola Ratti、Bellows、Adam Asnan、Kassel Jaegerなどのアルバムをリリースし、現行のエクスペリメンタル・ミュージックの下地を作ったともいえなくもない同レーベルだが、その復帰第一弾は、やはり主宰Giuseppe Ielasiの4年ぶりの新作『3 Pauses』であった(Giuseppe Ielasi『Rhetorical Islands』以来ということになるのか。ちなみにInventing Masks名義では昨年(2016)にEPをリリースしている)

 『3 Pauses』は3枚のCDに分かれており、それぞれ1曲ずつ収録されている。フィールド・レコーディングされた音が用いられており、“Part1”は淡い環境音の持続と接続、“Part2”は環境音のどこかリズミカルな接続、“Part3”は、水流のようなドローンというムード。どの曲も儚いマテリアル感覚は共通しており、これまでの〈Senufo Editions〉の延長線上にあるマテリアルな環境録音作品である。当然、Francisco Lópezのようにハイファイなフィールド・レコーディング作品というわけではなく、徹底的に地味な音響が持続している。むろん、この「地味さ」は意図的なものだろう。じじつ、唯一のレーベル・アナウンスは「低音量での再生」というものだ。

 全編、形容しがたい音である。霞んだ音色のフィールド・レコーディング・サウンドが持続し、微かに変化を遂げる。しかしまったく派手さはない。フィルム撮影の映画の音響のような音色が鳴っているのみだ。音は生成的に変化を遂げるというよりは、定位を僅かに変えたり、不意に別の音素材に代わっていたりする。このシンプルさ、素朴さ。それゆえの異様さ。まるでモノクロ映画の音響を聴いているような感覚。フィルムの、そのむこうに音があるような感覚。

 〈Senufo Editions〉のレーベル・カラーであるモノ性を継続しつつ、しかし、そのモノは消えかけ、記憶のようになっている。そんな印象を持った作品であった。思えばアルバムも「三つの停止」である。音における「停止」とは何か。消えかけていく希薄なモノの存在=音ではないか。真っ黒のボックスデザインにも、それは表現されているように思えた。